1879年の琉球処分によって「沖縄県」となって以降、急速に進められた同化政策によって、日本本土との一体感が強まっていました。そのような中、太平洋戦争が始まり、多くの住民を巻き込む激しい地上戦の戦場となりました。
アメリカ軍の砲爆撃があまりにすさまじく、「鉄の暴風」が吹き荒れたとまで表現された沖縄戦。この戦闘は、20万人の命を奪いました。そのうち、住民の犠牲は9万4千人に上ります
沖縄戦では中学生、女学校生など10代の若者が戦場に動員され、戦死や集団自決に追い込まれました。男子学生は、伝令や弾薬など物資の運搬などに、女学校生は、軍病院などで負傷兵の看護などに当たらされました。
1945年6月、牛島司令官の自決により日本軍の組織的な抵抗は終わります。 第二次世界大戦で沖縄は多くの犠牲者を出しました。終戦後はアメリカによる統治が始まり、基地問題などに直面しましたがアメリカ統治下での文化的変容も見られました。
1972年に沖縄が日本に復帰。基地問題などの課題は未だに続いていますが、沖縄から世界へ平和の声をつなげ、二度と沖縄を戦場にさせないために、核兵器の廃絶、戦争の放棄、恒久平和の確立を訴え続けています
関連スポットリスト
1. 沖縄平和祈念公園
一 沖縄県営平和祈念公園は、沖縄戦終焉の地である糸満市摩文仁の丘陵に広がる広大な公園です。 琉球政府時代から整備が始まり、昭和47年からは都市公園として本格的な整備が進められました。 美しい海岸線を望む台地に位置し、観光客や慰霊団、修学旅行生などが訪れるスポットです。
2. 旧海軍壕
一 沖縄は本土防衛の最後の拠点として、日本で唯一住民を巻き込んだ地上戦が行われた場所です。「海軍司令部基地」として構築されたこの壕は、激しい戦闘の末、日本海軍が終焉を迎えた場所で、司令官室、作戦室などが当時のまま残されている貴重な施設となっています。
3. 斎場御嶽(せーふぁーうたき)
一 斎場御嶽(せーふぁうたき)は、琉球開闢(かいびゃく)七御嶽のひとつで、東御廻り(あがりうまーい)の巡礼の中で最高の聖地として重要な役割を果たします。斎場御嶽はこの儀式の中で巡礼者が訪れる聖地の一つで、特に聞得大君(きこえおおきみ)の就任式である「御新下り(おあらおり)」の儀式がここで行われます。
4. ひめゆりの塔_
一 ひめゆりの塔は、沖縄戦で亡くなったひめゆり学徒と教師のための慰霊碑です。終戦の翌年、米軍の攻撃により多くの犠牲者を出したガマ(伊原第三外科壕)のそばに建てられました。沖縄戦の戦跡のなかでも有名なもののひとつです。