4. ひめゆりの塔 | 太平洋戦争の足跡と平和への祈り
ひめゆりの塔は、沖縄戦で亡くなったひめゆり学徒と教師のための慰霊碑です。終戦の翌年、米軍の攻撃により多くの犠牲者を出したガマ(伊原第三外科壕)のそばに建てられました。沖縄戦の戦跡のなかでも有名なもののひとつです。
沖縄戦の犠牲者数は20万人以上にのぼり、そのうち12万人以上が沖縄県民です。 沖縄戦では、10代の生徒たちも学徒隊として戦場に動員されました。ひめゆり学徒隊もそのひとつです。戦場で、2000人以上の生徒が命を落としました。
ひめゆり学徒隊は、南風原にある沖縄陸軍病院に動員されました。次々運ばれてくる負傷兵の世話や雑役で、生徒たちは休む時間もありませんでした。 戦局の悪化に伴い、日本軍は沖縄本島南部に撤退。陸軍病院も撤退します。6月中旬には米軍が南部に迫り、学徒隊に解散命令が下ります。米軍の包囲する戦場に放り出され、多くの生徒が犠牲となりました。
ひめゆりの塔に隣接してひめゆり平和祈念資料館があります。 ひめゆり平和祈念資料館は、ひめゆり学徒隊の沖縄戦体験を伝え、平和の尊さと命の大切さを訴えるために設立されました。イラストや証言映像、ガマの実物大模型などの展示を通して、ひめゆり学徒隊が体験した沖縄戦の実相を伝えています。
ひめゆりの塔は、沖縄戦の悲劇の象徴として広く知られています。 ひめゆりの塔とひめゆり平和祈念資料館は、沖縄戦の悲劇を知り、平和について考えることができる場として、毎日多くの人々が訪れ、平和を祈っています。