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3. 勝連城跡 | 沖縄の世界遺産を巡る旅

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沖縄県うるま市に位置する勝連城(かつれんぐすく・かつれんじょう)は、阿麻和利の城として知られるグスク(御城)の城趾です。城は勝連半島の南の付け根に位置する丘陵に築かれ、南城、中間の内、北城で構成されています。

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城は北城が主要な構造で、一の曲輪、二の曲輪、三の曲輪が石垣で仕切られた郭として形成されています。これらの曲輪は階段状に配置され、最も高い位置にあるのが一の曲輪です。城の南側には南風原集落があり、城の北側は田地として利用されていました。

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城内には様々な施設が存在し、特に「浜川ガー」は7代目城主濱川按司の娘が身の丈1つ半の長さの長髪を洗髪したと伝わる場所です。二の曲輪には大きな舎殿跡があり、柱が等間隔に並び、礎石も備えられた社殿だったと推定されています。城が構築された時代の屋根は板葺きが主流でしたが、大和系の瓦も見つかっています。

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勝連城は14世紀初頭に築城されたと考えられていますが、12世紀から13世紀には既に築城が始まっていた可能性もあります。最後の城主である阿麻和利は、9代目城主の圧政に反発し、クーデターを起こし海外貿易などを推進して地域の按司として台頭しました。しかし、1458年に尚泰久王によって滅ぼされ、城はその歴史に終止符が打たれました。

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城内からは中国、元代の陶磁器(染付)が出土し、当時の繁栄を物語っています。『おもろさうし』によれば、柳田国男は浦添文化とは異なる勝連文化が存在した可能性を指摘しました。これらの文化の交わりと歴史的背景を探ることで、勝連城は琉球王朝の栄光と悲劇が共存する場であったことが理解されます。

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