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やちむんの里・北窯共同売店 | 沖縄工芸の旅路

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【やちむんの里の概要】

読谷村座喜味(ざきみ)に位置する「やちむんの里」は、那覇市の壺屋と並ぶ沖縄の伝統的な焼き物(やちむん)の一大生産地です。琉球王国時代から続くやちむんの伝統を守るため、1970年代に那覇市の壺屋地区で登り窯の煙による公害問題が発生した際、登り窯にこだわる陶工たちが移り住み形成されました。元米軍用地を読谷村の「文化村構想」のもとで提供され誕生し、現在では6つの窯と19の工房が集中し、里全体で50余りの窯元が集まる集落となっています。斜面を利用した巨大な登り窯が里のシンボルです。

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【琉球王国時代から戦前まで:やちむんの起源と民藝運動】

やちむんの歴史は長く、14世紀から16世紀頃に中国や東南アジアとの交易を通じて南蛮焼の技術が伝わりました。1609年の薩摩侵攻後、自国生産の必要性が高まり、1682年に尚貞王の産業振興策により、県内各地の3つの窯場が那覇市の壺屋地区に統合され「壺屋焼」の基礎が築かれます。当初は泡盛などの実用的な容器が主でしたが、次第に食器としても利用されました。明治時代に他県からの安価な焼き物流入で一時衰退しますが、1926年頃から柳宗悦ら民藝運動の提唱者がやちむんの「日用品としての美」を再評価し、全国的な芸術的価値が見直されました。

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【戦後の復興と「公害問題」:壺屋から読谷への移転】

1945年の沖縄戦で那覇の街がほぼ全焼する中、壺屋地区は空襲を免れ、終戦直後には陶工たちが戻り戦後復興のスタート地点となりました。しかし、1972年の本土復帰後、沖縄ブームや民藝ブームで壺屋焼の需要が増加する一方で、壺屋周辺の住宅密集地化により、薪を燃やす登り窯の煙が公害問題となりました。那覇市が1974年に登り窯使用禁止勧告を出したことを受け、登り窯に強いこだわりを持っていた故・金城次郎さん(沖縄県内初の人間国宝)が1972年に読谷村へ工房を移転。村の陶工への土地提供もあり、1980年に共同窯が築かれ「やちむんの里」が形成されました。

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【里の核となる登り窯:「読谷山焼共同窯」とゆんたんざやき】

読谷やちむんの里の中核となるのが、1980年に大嶺實清さん、金城明光さん、玉元輝政さん、山田真萬さんの4人の陶工によって築かれた「読谷山焼共同窯」です。この窯で焼かれた作品は「読谷山焼(ゆんたんざやき)」と称されます。里のシンボル的存在であり、斜面を利用して階段状に9つの窯室が連なる構造を持つ登り窯です。一番下の窯で薪を燃やすと、炎の熱が段階的に上の窯へと登り全体に行き渡る仕組みで、伝統的な焼成方法を継承する重要な役割を果たしています。

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【やちむんの技の土台:材料、焼成、そして工程の秘密】

やちむんの作品のほとんどは、沖縄の土を用いて作られています。作品の表面を覆う釉薬(ゆうやく)は、鉱石やサトウキビ灰、サンゴ石灰など、自然の原料から作られ、受け継がれた調合に作家の個性が加わります。焼成は主に登り窯で行われます。釉薬をかけずに約1,120度で焼かれるものを「荒焼(アラヤチ)」と呼び、釉薬を使って約1,200度から1,230度で焼かれるものを「上焼(ジョーヤチ)」と呼びます。また、器を重ねて効率よく焼く際に、皿の中央に白い輪っか状の跡が残ることがあり、これは「蛇の目(じゃのめ)」と呼ばれ、効率化のための技法の名残です。

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【やちむんを彩る:荒焼・上焼と多彩な伝統技法・文様】

やちむんには、大きく分けて2つの種類があります。釉薬をかけずに土の風合いを生かす「荒焼(アラヤチ)」は、壺や水瓶など比較的大きなものが作られます。釉薬を使って焼かれ、多様な色が出せる「上焼(ジョーヤチ)」は、現在のやちむんの主流で、食器などが作られます。技法としては、子孫繁栄の縁起柄である魚などを針金で描く故・金城次郎さんが好んだ「魚文線彫り」や、手描きの丸模様「点打ち」、スタンプを使う「印花」、泥状の土で立体的な線を描く「イッチン」、幾何学模様を作る「飛び鉋(かんな)」、永遠を意味する「唐草」など、多彩なものが存在します。

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【沖縄の日常に息づく器:現代のやちむんの使われ方】

やちむんは、琉球王国の時代から続く歴史を持つ伝統工芸品として、現在でも沖縄の家庭の日常生活に深く根付いています。特に主流である「上焼」は、釉薬による防水・防汚効果があるため、茶碗や皿、酒器などの日用品として多く使われています。琉球料理の盛り付けに適した大皿、ご飯をおいしく食べるためのマカイ(お椀)、コーヒーを楽しむマグカップなどがおすすめです。伝統的な文様だけでなく、新しい表現やカラフルな釉薬を使った作品、深呼吸したくなるような「ペルシャブルー」の焼き物など、多様なやちむんが日々生み出されており、お土産としても人気を集めています。

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【現代やちむん産業の課題:後継者不足と材料の確保】

やちむん産業は、戦後の登り窯の煙による公害問題という歴史的な課題を経て、読谷村への移住という大きな転機を乗り越えてきました。しかし、現代においてもいくつかの課題に直面しています。一つは後継者不足と高齢化です。窯元や現経営者の高齢化が進み、窯業の常時従業者数はピーク時の約40%にまで減少しています。加えて、作品の基盤となる材料は県内でとれるものが多く、陶土に関しても、白色の発色に欠かせない白土(化粧土)の採取量が沖縄全体で少なくなりつつあるという問題に直面しています。また、作品に深みを与える伝統的な釉薬の原料についても、特定の自然素材の確保が課題となることがあり、沖縄の風土を生かした作品づくりを継続するための材料確保と安定供給が、現代的な課題となっています。

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【沖縄最大級の登り窯「北窯」と共同売店での購入】

「北窯(きたがま)」は、1992年に松田米司さん、松田共司さん、宮城正享さん、與那原正守さんの4人の陶工が共同で築いた窯です。この北窯のシンボルは、沖縄県内最大級となる13連房の登り窯です。北窯共同売店は、この北窯で制作された作品を購入できる販売店で、やちむんの里を訪れる際の重要な立ち寄りスポットとなっています。

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