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天久宮 | 琉球神聖領域からの導き

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【天久宮の概要】

那覇市泊にある天久宮(あめくぐう)は、琉球八社の一つとして、熊野権現(伊弉冉尊・速玉男尊・事解男尊)と弁財天を祀る神社です。伝承によれば、洞窟から顕現した神々を祀るため、成化年間(1465~1487年)に創建されました。戦災で一時神殿を失いましたが、1972年に再建され、地下三層の神秘的な構造が今なお訪れる者を導き続けています。古の信仰と都市の営みが交差するこの地は、琉球文化の深層を今に伝える聖域です。

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【史料に刻まれた天久宮の格式】

天久宮は、『琉球神道記』(1608年)に「天久権現」、『琉球国由来記』(1713年)に「天久山熊野三社大権現」、さらに『琉球国旧記』(1731年)や『球陽』(1745年)にも「天久山三社」または「天久宮」として記されており、琉球王国時代を通じてその存在と由緒が歴史的に確かなものとして尊ばれてきました。これらの記録は、単なる伝承ではなく、王府公認の重要な聖域であったことを物語り、現代においても信仰と文化の確固たる基盤となっています。

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【天女と法師の伝説と目軽翁子の物語】

『琉球神道記』には、銘苅村の翁子が天久野で天女と法師の降臨を目撃し、洞窟の香が自然に火を灯した奇跡が記されています。国王がその神秘性を認め社殿の建立を決めると、「私は熊野権現である。女人は弁財天である」との神託が下りました。さらに翁子は泉のそばで長い髪を拾ったことをきっかけに天女と出会い、3年間共に暮らして三人の子をもうけたとされます。この物語は、天久宮の創建伝承と聖域の霊験を象徴し、人と神との不思議な縁を今に伝えています。

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【地下三層が導く神秘の聖域】

鳥居をくぐると階段が続き、降りた先に拝殿と本殿があり、さらにその地下には御嶽(うたき)が広がるという三層構造が特徴です。洞窟から始まった聖域の趣をそのまま体現し、地上から地下へ進むにつれて外界の音が遠のき、静寂と神聖さが増していきます。湿った石の匂いと涼やかな空気に包まれながら歩む時間は、まるで古代の神域へと足を踏み入れたかのような感覚をもたらします。この構造は、訪れる者に非日常感と霊的な高揚を与える、まさに「琉球神聖領域からの導き」を形にしたものです。

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【龍神が宿る、多彩なご利益と静寂の聖域】

天久宮は子宝、安産、健康、家内安全、縁結び、縁切り、開運、厄除けなど、多様な願いに応えるとされ、特に女性や家庭を願う人々に厚く信仰されています。地下に祀られる龍神の力も相まって「沖縄で最強の龍神パワースポット」とも呼ばれます。那覇市中心部にありながら参道は閑静で、赤い鳥居をくぐると木漏れ日や香の漂い、風の音が一体となる神秘的な空間が広がります。ご利益を願いながら、この静寂に包まれる時間は心を深く清めてくれます。

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【戦後からの復興と信仰の継承】

1944年の沖縄戦で社殿は焼失しましたが、戦後すぐに御嶽での奉祀が続けられ、1972年(本土復帰の年)に本殿が建立されました。復興への地元の努力により、信仰を新たに築いた歴史的価値が見て取れます。この歩みは、沖縄の人々が困難を乗り越えて信仰と文化を守り抜く力強さを物語っています。

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【神々が響き合う多層的な信仰空間】

主祭神は伊弉冉尊(いざなみのみこと)、速玉男尊、事解男尊という熊野三神で、さらに摂社として弁財天を祀ります。御嶽には龍宮神や泊龍宮神も祀られ、神道と琉球信仰が融合した多層的な信仰空間が形成されています。参拝のたびに異なる神々との縁を結べる、稀有な神社です。神々の役割やご利益が多岐にわたるため、一度の参拝でも多面的な祈りを捧げられるのも大きな魅力です。

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【琉球八社に名を連ねる格式と誇り】

天久宮は琉球八社の一社であり、かつて王府から篤い崇敬を受けてきました。正月の社参や神楽奉納など、王府儀礼にも登場する格式高い存在です。明治期には無格社となり一時荒廃しましたが、復興を経てその歴史的・文化的価値は今なお色あせることなく受け継がれています。今日では地元の人々だけでなく観光客からも信仰を集め、琉球文化を象徴する聖域のひとつとして親しまれています。

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【アクセス情報】

【 モノレール 】 美栄橋駅(北口)から徒歩約17〜18分 【 バス 】 泊高橋〔崇元寺通り〕バス停から徒歩約8分

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